育星舎 代表ブログ

京都市にある私塾教育・育星舎グループ代表のブログです
退塾

卒塾と退塾は大きくちがう。退塾とは卒塾とちがい結果が出ない状態で塾をやめることである。生徒数が数十名であった個人塾の頃、私は退塾者が出る度に胃がいたくなった。今は生徒数も多くなりそのようなことが少なくなったが、時折退塾者の情報に接すると残念な気持ちで心が暗くなる。

 

退塾の理由がこちらの落ち度でない場合でも気にはなる。最近も地方へ転勤するという理由のものがあったが、その保護者、生徒ともに育星舎のファンであったので大変がっかりした。

 

退塾の理由がはっきりしない場合はこれからの塾運営にも大きくかかわるので気をつけなければならない。ところがやめていく生徒や保護者は理由を明らかにしてくれない場合が多々ある。そんな場合、「どうしてなんですか」としつこく聞くことはできない。

 

しかし、ほとんどの理由は「成績が上がらない」ということであろう。競争原理を利用して生徒指導をしている大手塾と異なり、私どものような塾にとってはそれは大きな問題である。一方、競争原理を利用すれば、「成績が上がらない」ということは他の生徒よりも努力していないということとつながりやすく、塾の責任にはなりにくい。他方、我々のような夢を持たせてやる気を出させ、面倒見の良い塾での「成績が上がらない」ということは塾の指導不足という印象を与える。「塾に入れば成績が良くなってあたりまえ」と考えている生徒、保護者には弁解の余地はない。そんな中で育星舎の学習部門は鍛えられてきた。成績上位者だけを相手にするのではなく、いろいろな生徒の成績を上げてきた。

 

私達は生徒数を増やすよりも退塾者を出さないために、指導の仕方を工夫してきたといってよい。今の育星舎はその点については自負がある。これからも生徒の夢に応える塾でありつづけたい。

 

 

 

| IRIE | - | 02:58 | - | - | -
他塾フォロー

中学受験の入江塾は大手塾に通っている生徒の指導、いわゆる他塾フォローも受け付けている。学習塾を始める前、私はプロの家庭教師をしていたので、その頃から他塾に通っていようと頼まれれば指導したのである。

 

他塾フォローで気をつけねばならないのは、生徒、保護者の意向である。たとえば塾内での成績を伸ばしたいのか、それとも第一志望校の入試対策をしてほしいのかの区別は大変重要である。入江塾の算数は独特の解き方があるのだが、そうではなくその塾のオーソドックスな解法で教えるべきかどうかは本人の負担を考え、希望だけでなく学力も考慮しなければならない。

 

入江塾本来の生徒も指導しなければならないので他塾フォローにはそれほど人材や時間はかけられない。しかし大手塾の問題点を知れば知るほど頼まれればできるだけ協力したいと思う。ほとんど小学6年生になってから連絡があるので、転塾などを勧めることは控えている。

 

大手塾は集団指導(個別指導では実績は出せていない)で個々の志望校の対策に充分に対応できない。ただ灘中学は別格だろうが、その他の難関校についてはよくて2、3校まとめて、中堅校にいたっては学力別クラス程度。ある大手では過去問は赤本で勝手にやっておけと言われたという。それに比べ入江塾の他塾フォローは、その学校に焦点をしぼって塾長及び専任講師が指導に当たる。塾の規模では負けているが、指導内容の質では勝っていると自負している。

 

 

 

| IRIE | - | 04:11 | - | - | -
夏合宿

去年の夏期講習期間後半、私は体調を崩してしまった。今年はそのようなことのないようにスポーツジムにも通いながら体調を整えていたのだが、やはりだめだった。講習そのものは若い講師に任せているので影響はないのだが、暑さに弱くなっている自分は情けない。

 

以前はこんな状態ではなかった。特に「科学の学校」の夏合宿をしている頃は野外活動までやってのけたのだ。夏合宿は2泊3日で、学習部門の夏期講習の盆休み期間にあてられた。だから、参加講師たちも大変だった。特に小学低学年担当の先生はその世話に苦労した。初期の頃は合宿のノウハウもなかったので、理科実験教室を大阪で主宰し、小豆島に合宿施設を持っていた藤原学園のお世話になった。第1回の参加者は8名だったと記憶している。広大な敷地に立派な理科実験施設と宿泊施設、海と山の自然。海水浴も楽しんだ。

 

10回ほど続いただろうか。小豆島の他、和歌山県の田辺市、岡山県の犬島、京都府の京丹後市、岐阜県の飛騨高山などいろいろ懐かしい記憶が残っている。参加人数も最大80名に達した。

 

小学校4年で小豆島の合宿に参加した生徒の1人が現在育星舎の講師をしている。年をとったわけだ。

 

 

 

 


 

 

 

 

| IRIE | - | 03:39 | - | - | -
書写

入江塾の小4〜小6生に天声人語の書写を毎週宿題として1回分を与えている。それも算数の時間に。私の大学受験の頃、学力向上のためにそれが有効だと言われていた。数年前にそれを思い出し、私が始めた。生徒の中には邪魔くさがるものもいたし、極端な場合その効果を否定する保護者もおられた。

 

塾長である秋定が「なぜ書写が宿題に出るの?7つの目的と効果について」なるタイトルの文章をホームページに近いうちに載せることになった。読んでみるとわかりやすい文章で私の考えをきっちりまとめてくれており感心した。皆さんにも是非読んでほしいものである。

 

ところで最近、書写の根拠となりうるかもしれない新たな事実を知って驚いた。すなわち、ホモサピエンスの持つ驚くべきテクノロジーは、脳の領域であるブローカ野が深くかかわっていることがわかってきたというのだ。ブローカ野というのは言語中枢といわれるもので、この領域に損傷を受けた人々は文法的に複雑な文章を作り出すことが不可能になるといわれる。

 

NHKスペシャル シリーズ「人類誕生」第3集「ついにヒトは海を越えた」(7月15日放送)でその事実は伝えられた。ホモサピエンスはネアンデルタール人などの他の人類に比べ、なぜ世界に広がることができたのか。まずなぜ広大な海を渡ることができたのか。この問いに対し、近年、当時から高度な航海技術があったことを示唆する証拠が次々と見つかっている。またなぜ極寒の地に進出できたのか。この問いに対して、ホモサピエンスは、画期的な発明品(例えば縫い針)を武器に寒い土地でも豊かに暮らしていた可能性があるという。このような技術や発明が言語を司る脳の領域であるブローカ野に負うところが大きいというのだ。


すぐれた言語活動の働きとテクノロジーの革命とがつながったのである。書写は脳の発達ををうながし、イノベーションにもつながっていくのではないだろうか。

 

 

 

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| IRIE | - | 11:18 | - | - | -
数学の天才 その5

 

「栴檀(せんだん)は双葉(ふたば)より芳(かんば)し」


天才は早熟な者が多い。朝日新聞のGLOBE 6月3日号で読んだのだが、数学のノーベル賞と言われるフィールズ賞を受賞するなど「超天才数学者」と呼ばれるテレンス・タオ(42)は9才で大学に入ったという。一般人の知り合いに普通そんな子供はいない。私はその例外かもしれない。

 

私は長年、中学受験を指導してきて優秀な生徒はたくさん見てきた。数学科に行くという生徒もいた。その中でも十数年前の小学5年生のTくんとの出会いは衝撃的であった。アスペルガー症候群であるTくんはお母さんと入塾相談に来た。お母さんに促されるままにぎこちない挨拶をした以外はTくんは私と視線を合わせず、宙を見つめているような表情で、自分のことが話題にのぼっていることも一切関知しない態度であった。

 

お母さんが言うには高校数学の微分・積分ができるという。半信半疑で確認してみると理解しているようなのだ。今までこんな子供と出会ったことがなかったので非常に驚いた。個人指導で国語・算数・理科をみることになった。算数は私が担当した。そこでさらに驚くことになった。

 

 

      

 

このような筆算で解いても間違いそうな問題を暗算で解くのである。1、2分じっと式を見つめていて、ぼそっと解答する。それがすべて正解なのである。私は教えるというより、合格に必要な問題を提供したにすぎない。

 

超難関校に彼は合格した。風の便りに聞くとそこでいじめにあい退学したという。数学の天才は今どうしているのか。

 

 


 

 

 

  

| IRIE | - | 15:17 | - | - | -
数学の天才 その4

 

私の高校の同級生M君は当時同期生の間で「(数学の)天才」と呼ばれていた。その頃流行り出したルービックキューブを初めてなのにものの1、2分で完成させてしまった。また今でも有名な数学雑誌「大学への数学」(東京出版)の毎月の学力コンテスト成績優秀者として彼は常連であった。M君は京大理学部へ進学したのだが、東大理気帽圓辰人Э佑他校出身者から「君の高校にMという生徒がいるよな」と質問されたということだ。それほど彼の名は数学愛好家の中で全国的に名が知れていたのである。

 

そんな彼は当然数学者になった。十数年前になるだろうか、私の実家が京都の古民家であるということで、アメリカの数学者を連れて見学に来たことがある。そんなとき「ぼくらプロは…」と表現したことがある。なるほど、数学者というのは数学を扱うプロフェッショナルなんだと感心したことがある。

 

数学の天才であった彼が京大理学部に進むというので、数学科に行くのをあきらめて京大医学部に行った者もいたと聞く。それで思い出した。私がお世話になったY先生が言われたこと。「何年に一度かの天才があらわれると普通なら秀才として大学に残れた者が色あせて見えてしまう。よく切れている刃物もカミソリが来ればナタになってしまう。」というのである。

 

天才はまわりの人生を変えてしまう。

 

 

 

    
 

 

 

 

 

 

| IRIE | - | 03:09 | - | - | -
数学の天才 その3

 

すぐれた教師の条件の1つに、生徒の能力を見極めるというものがあると思う。その点Y先生が私の数学力を知ろうとしなかったことはプロ講師として失格だったかもしれない。しかし、その欠点を補うにあまりある数学的才能がY先生にはあった。天才的能力と生徒指導力は反比例の関係にあるのかもしれない。

 

「打てば響く」ようにY先生は私の要求に次から次へと応えてくれた。Y先生は宝の山、私はその中から驚くほど貴重なものを頂いた。さらに私はY先生の考える仕草や筆記の仕方などもまねていった。

 

私は一浪して大手予備校に在籍していたのだが、7月頃から身体の不調がきっかけで家に引きこもるようになっていた。そんな時もY先生は家庭教師として自宅に来て下さり、数学を考えることが私の気晴らしにもなっていた。

 

そんな生活で夏が過ぎ、秋も過ぎようとしていた。私は思いきって、ある有名な数学講師の冬期講習を申し込むことにした。

 

その講習は以前の私にはかなりレベルの高いものだったが、対外試合のような気持ちで臨んだ。しかし、驚いたことにその講師の話す内容が一言一句はっきりと理解できたのである。私は今までにない自分の明晰さを実感した。終了試験もスラスラと解け、合格点をとることができた。

 

数学の思考論理が私の脳にY先生によって植えつけられたのだ。いや、Y先生の数学的思考が私に乗り移ったと表現した方がよいかもしれない。

 

 

 

| IRIE | - | 02:54 | - | - | -
カバゴン その6 完

阿部先生は多方面で活躍しておられた頃、富士山麓に「野生学園」という「自然の中の実験教室」を作られた。ここで、春、夏、冬などの学校の休みの期間に野外学習として多くの生徒達の合宿を実施された。先生に案内されてそこに見学に行ったことがある。建物はログハウス調で、常駐するスタッフもおられ、うらやましい限りの施設であった。

 

ところで「科学の学校」創設当初手伝っていただいていた長男の昌浩先生も2年ほどで東京に帰られた。時が経つにつれ京都の「科学の学校」は独自のマニュアルを蓄積し東京の「麻布科学実験教室」と肩を並べる程に成長した。そして阿部先生の快諾を得てフランチャイズ契約を解消させていただいた。

 

そんなこともあり、阿部先生とは京都に来ていただいたり、私が出向いたりというお付き合いも十数年程前からあまりなくなっていた。しかし、昌浩先生とは連絡をとり合って先生の御様子はうかがっていた。

 

あんな元気だった先生がここ数年いろいろな病気を患うようになっていった。帯状疱疹、人工関節手術、心不全、角膜ヘルペスによる左目の失明、股関節骨折など次から次へと病魔が襲い、車椅子生活を余儀なくされるようになっていた。そして最期は胃がんが原因で逝かれたという。

 

そんな中でも、ある記事によると「朝、目覚めたら『今日も生きていた!』って、もうそれだけでうれしくてうれしくて。命あることに感謝しながら暮してますよ」と話されたらしい。血液がO型だからといって到底言えないすばらしい境地である。風邪で寝込んだだけでも落ち込むような私にはそんな気持ちになれないだろう。

 

そしてつい最近まで自宅で小学4年の男子を指導しておられたという。全盛期の先生は、学校の講堂で数百人の小学生を前に授業をされたことがある。あれはただのパフォーマンスで行っていたわけではなかったのだ。「阿部先生は本当の教育者だったんだ」と今つくづく思う。教育に携わる者として先生と出会えたことを感謝しなければならない。

 

御冥福をお祈り申し上げます。

 

 

 

        

 

 

  

| IRIE | - | 22:32 | - | - | -
カバゴン その5

 

阿部進先生は何でも関心を持ちビジネスにしてしまうような方との印象を当時の私は強く持った。前述したように、自分の糖尿病体験をベストセラーに結びつけてしまうことなど朝飯前。実際私ども育星舎との関係も先生の理科実験教室のフランチャイズ展開が始まりだ。教育評論家としてはその枠を越えてある有名マンガのキャラクターのぬいぐるみの興行権も持っておられたし、人気画家の展覧会の企画運営なども独占的に手掛けておられた。

 

同じ闘病体験からその頃塩の販売などの話もよくしておられた。「工業的に作られる塩は身体によくないが、海水から作られる天然の塩は十分に摂るべきだ」と普段から小さな入れ物に天然塩を持っておられ、ミネラル水に溶かした塩水をよく飲んでおられた。そして、ある方の作る天然塩を売り出すんだと勢い込んでおられたそんな時期もあった。

 

私が小・中学生の頃はテレビのクイズ番組やワイドショーなどでタレントとして活躍されていた時期もある。「学校の教師、その後教育評論家」という職種としては昔から収まりきれないマルチな才能があったのは事実だ。

 

何しろ先生はエネルギッシュで前向き、人との関係をどんどん広げ活躍の場を広げていかれてるのには感心した。先生はそんな性格を血液型でO型に由来すると自分で言われたことがある。

 

「調べてみると僕も含め事務所のスタッフは全員O型なんだ。誰も止める者はいないよね。」まるで人ごとのような話をされていた。

 

 


O型.jpg


 

 

 

 

| IRIE | - | 21:16 | - | - | -
数学の天才 その2


初対面のときの私の対応がまずかったのか当初Y先生は私に大学レベルの数学を提供しようとされた。それは私の学力レベルを理解しておられなかったからだ。Y先生本人の高校時代の数学力と私のそれとが大差のないものだと考えられていたのではなかろうか。自分が高校時代に考えた差分方程式の公式の作成過程のプリントと、同じく高校時代に読んでおもしろかった(?)書籍「R・クーラント H・ロビンズ 数学とは何か」(森口繁一監訳 岩波書店)を私にくださったのだ。前者は高校では習わない高等数学であり、後者は大学受験参考書レベルの解法ではなく数学の本質を説く私には難解な著書であった。

 

私の学力を高く評価して下さっているY先生に多少の遠慮もあり、始めて数回の指導の間は我慢していた。しかしこのままだと時間の無駄だと思えてきた。ついに私はY先生に「指導していただく学習内容は、私が決めさせていただきます!」と宣言した。一瞬先生はキョトンとした顔をされた。不愉快な表情もされなかったので私は胸をなでおろした。

 

その後は受験問題集の解説や大学入試の過去問などを私が具体的に示して受験に必要な論点を質問していった。それに対するY先生の回答が理解できなければ、分るまでレベルをどんどん下げて説明していただいた。やはり問題の根本を理解しておられるからであろう、細かく噛み砕いてどこまでも、初歩の原理原則まで戻っていただいた。後に実感するのだが、教師という者はやはりその分野で本物でなければならない。

 

この経験から私はこんな例えをよく言う。「ウィスキーを水で割るとき、安物は途中で水っぽくなるが、本物はどこまでも薄められる。」

 

 

 

 

 

 

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